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初期のころ-150記念号-

「まことに、あなたがたは喜びをもって出て行き、安らかに導かれて行く。山と丘は、あなたがたの前で喜びの歌声をあげ、野の木々もみな、手を打ち鳴らす。」  ( イザヤ55:12)

施設写真当時、集会の周りは北側を除いて一軒の家もなく、木々に囲まれていました。相原で始まった礼拝は、このみことばのように、人数は少なくとも、喜びに満ちていました。集うひとりひとりが、主の前に安らぎ、喜びをもって出て行くことのできる場であるようにとの祈りのうちに始まりました。主人と出会いドイツの聖書学校に導かれ、開拓伝道というビジョンが与えられてから12 年が経っていました。この頃集っていたのは、私達家族の他には、齋藤兄、平野姉、今中国にいる鈴木M兄、C姉夫妻、名古屋の大槻兄姉、大阪の林原兄姉、千葉の勝木姉でした。 
[ 文責:渡辺T]

アットホーム

2006 年8月。私たち家族(妻&子ども3人)は、中国の広東省深セン市に住んでいます。毎回200 名近くの中国人の兄弟姉妹と主日礼拝を捧げています。1989 年8 月。私たち夫婦は、長女、翠(7 ヶ月) と共に、渡辺家のリビングの食卓を囲み、J兄、T姉を中心として、数名の兄弟妹姉とともに礼拝を捧げました。それは、相原集会が始まって2 回目の礼拝でした。当時、大きな群れの中で礼拝を捧げていた身にとって、その場所は、不安でもあり、ちょっぴりさびしくもあり、また、何と無くぎこちない時でした。賛美のリクエストをし、御言葉を聴き、静まり、祈る。人数が少ないためか、長い、沈黙の時もしばしばでした。礼拝が終わった後は、T姉の特製スープをいただきながら、ゆっくりと食事をしながらの交わり。なんとも言えない豊かなアットホームなひと時。時間に追われる必要の無いのんびりと過ごす時間(特別なスケジュールは何もなかった。)頃合いよく入れるJ兄のコーヒーまた格別。これが今もつづく相原の素敵なハーモニーを奏でているのですね。今も忘れられない、あの暑い夏の日の思い出、お昼に食べた『そうめん』は、もう出来ないですね( 笑) !!何度も口ずさんだ御言葉「小さな群れよ。恐れることはありません。あなたがたの父である神は、喜んであなたがたに御国をお与えになるからです。」これもまた、ひとつの思い出となりました。
[鈴木M]

恵みと祝福

施設写真 私たちが渡辺兄姉と出会ったのは、兄姉が相原に引っ越す前に八王子で行っていた家庭集会でした。主人と結婚する前に、一緒に家庭集会に参加していた時、彼は救われました。兄姉は結婚式の時も、証人に立って下さいました。その後も兄姉の集う集会に参加していましたが、相原の地に新しく集会を開拓することになり、1989 年8 月、7 ヶ月の翠を連れて、渡辺宅の礼拝に始めて参加しました。食卓を囲んでのアットホームな礼拝。幼い翠は人見知りする為、私は翠を膝の上に座らせてピアノの伴奏をしたのを覚えています。礼拝は聖書に記されている初代教会のような、霊と真による聖霊様にだけ頼り導かれ、主だけを見上げるものでした。その日テラスに出て皆で撮った写真は今でも私の聖書の中に大切な宝物のようにそっと忍ばせてあります。何もかもが初めてで、テラスのペンキを塗ったり、洗礼槽の建設、新会堂の建設、クリスマス、フェスティバル、キャンプ・・・全てが試行錯誤の中での手作りでした。年毎にメンバーが増え、段々と形成され、成長して行った相原集会。私たちは、13 年間、共に集いながら沢山の恵みと祝福を戴き、学び、成長させられました。その事が、集会を離れ、開拓、宣教する者として、どんなにか役にたっていることでしょう。渡辺兄姉が開拓を始めた小さな群れ、相原集会でのひとつひとつの出来事がどれほど大切なことであったのか。今、あらためて感じています。
[鈴木C]


相原キリスト集会実りの杜チャペル

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