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相原式聖研-150記念号-

相原の特色として

施設写真◆相原の特色として、よく聖研の多さがあげられる。四福音書を平行で読み始めてから、使徒、書簡およびトピック毎と多くの箇所を扱ってきた。始めた当初は、全体で行っていた聖研も、現在では、兄弟クラス、姉妹クラス、シニアクラス、初心者クラス(求道者)の4 クラスが学びの後に行われている。相原式聖研の特色であるStep1,2,3 方式は、決まった答えや結論を持たずに読み、聖書本文の理解を飛び越して、いきなり解釈・適用に入らないためのルールを定めた。ルールに沿い参加者の一人が事前に問題を作成する。当初は、稚拙で的を外していても、主体的に聖書を読むことで、実に読む力がアップする。作成者に模範解答を要求していないので、作成者自身の疑問がそのまま質問として登場する場合もある。
ルール@ Step.1 は聖書本文からそのまま答えられる問題を出題する。解釈をせず、聖書に何が書いてあるかを共通認識として持つことを重要だ。ここの答えに争いはなく、必ず同じ答えになる。
A Step.2 は、その箇所本文や文脈から答えが出る問題を出題する。他の書簡から答えを持ってきたりせず、ここから何が読み取れるかを考える。また言葉の意味についても検討する。例えば「罪」一つとってみても、様々な意味で使われているケースがあり注意が必要だ。問題に答える結果、いくつかの読み方(解釈)や考えが出てくるが、その解釈が論理的に可能かを検討する。可能であれば、その考えを否定しないのが原則だ。実際に様々な注解書に目を通してみると、一つの解釈を巡って著名人の解釈が異なっているケースの方が多い。ところが、教会運営の便宜上、代表者の一つの解釈に統一、それ以外をなるべく認めようとしない向きがあるが、果たして集会はどうだろうか。
B Step.3 は、Step.2 で出た解釈が、聖書全体から見たら妥当か否か、信仰生活の実践にどんな効果が生じるのか等を問題とする。ここでは、自由に幅広く話し合うことが出来、盛り上がるが、いつも時間切れとなるのが残念だ。もっとも、議論が尽きないのは、聖書自体に明確な答えがなく、答えは個々人が信仰生活での歩みに委ねられているケースが多いからで、途中で終わる位で丁度良いと思う。

実は、このようなプロセスで

◆実は、このようなプロセスで新改訳聖書を読んでみると、時折翻訳に疑問を感じることがある。翻訳者が取った立場の解釈により表現が代わるからだ。新改訳聖書の立場を唯一絶対として捉えることは出来ない。だから、出来ればギリシア語に立ち返えるのが一番だ。最近は便利なPC ソフトがあるので、素人でも原語本来の意味を知る事が出来る。また他の訳を見るだけでも非常にすっきりすることもある。

相原流の聖書の読み方

施設写真 ◆相原流の聖書の読み方があるとするなら、「点線と実線の聖書解釈」である。Step1 で確定した争いのない部分、例えば「信仰による義」は、実線。ここに異を唱えることは認めない。しかし、Step.2 で分かれた意見は、その妥当性があれば受け入れるか完全に否定はしない。つまり、争いの余地があるのだから点線(グレー)。例えば、「選びの問題」は点線。この部分を押し付けたり、否定したりしてきたことが教会の問題と思う。教会をまとめるために一つの解釈に統一すると一見まとまったように見えるが、ほころびが生じる契機にもなる。特に、Step.3 の領域である、聖書に具体的に書いてない礼拝の形式等を、あたかも聖書が言っているかのように語るのは問題である。答えが決まっていて誘導するようなテキストでは、合わない人には苦痛である。違った意見を受け入れる勇気、一方で絶対に譲れない部分は共通で持てるようにする努力こそ聖書研究の真髄ではないか。

当初、難しいとか、答えを教えてほしい・・・

◆当初、難しいとか、答えを教えて欲しいといった意見もあった。しかし、最近、若い人から聖書の意味や読む楽しみが分かってきたという声を聞くとき、続けてきたことの意味を感じる。一番、読む力が付くのは、自分で問題を作ることである。誰かの意見解釈の上に信仰生活を築くのではなく、直接、聖書から得た理解の上に信仰の土台を築いて行きたい。
[ 文責: 北野]


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